「ちゃんとしなきゃ」についての考察

※2022.10月頃に言語化した内容を
皆さんに赤裸々にシェアです^^:

シェアすることで、同じような
誰かの背中を押すことが出来たら、
シェアハピ♡になって嬉しい事
この上ないなと思ってます♪ 


先入観なしに、
フラットに読んでもらえると嬉しいな^^




私もそうだったけれど、
そもそも今ある思い込みを
自身で自覚できている人の方が少なくて。


私はそんなところで詰まってないしぃ
と思っている人ほど、
実はある、ということの方が多い気がする。


でも、それぞれの人生の
タイミングがあるし、来る時が来たら
でいいとも思うし。

向き合うタイミングは人それぞれ。
あくまで私はこうだったの、
いちサンプルです♪



私あかりんには長年、
ベースに「ちゃんとしなきゃ」
根深くありまして、、 


その頃、
全く別の知り合いお2人に、
私が話している時に

「言葉に、一枚フィルター貼ってる」
とか(こっちは無自覚w)

「照れなのか、
言葉の前に一枚貼ってる!」
とフィードバックをもらいw


2人に同じようなこと言われたー!
と私の中で衝撃で。



そこからは、向き合いたくないけど
頑張って、意識的にその正体について
自ら言語化してみていました。



私は何を守っているのか。
何を恐れて、どんな
色眼鏡をかけているのか。



社会性、立派な大人
自律して、自立して社会人として
責任を果たす自分でいたい。
責任感めちゃくちゃ強い。
(長女あるあるですよね♪w)


社会的な価値観に
合わせているところ
まだまだ、たっぷりありありで。


そりゃ、16年
そこそこ大手の会社員で。
それまでも生まれてから、
わりかし優等生で。


しっかり者の
おねーちゃんで育ってきて。
親の期待にも応えてきて。



そして今は、自分ビジネスを軌道に乗せる
目的のために、価値観の
生まれ変わりのためReborn中。

色眼鏡を外す絶賛過程の中。
絶賛引き算中!
(※半年経った今現在(2023.1頃)は、
もうフィルター感じない!と言わしめた♪)



そんな私が、
それまで思い込んでいたこと!


「何も持ってない自分では
愛されないのではないか」


例えば、学歴、経歴、育ち、見た目など
(あくまで主観なので悪しからずw)


私がもし仮に、髪を金髪プリンにして、
奇抜な格好をして、
お嬢さん風ではなく
(伝統校の女子高育ちw、えっ違うって??)

お勉強もできず、
それら差し引いてでも残る性質、
魂の価値だけで、私は愛されるのか、
に目を向けるのが怖かった。
(ほんと思い込みってすごいね^^:)


そこにかなりのエネルギーを
注いできた分だけ、
努力してきた分だけ
引き算することが怖かったのかも。
親の期待なども含め。



でも今は、それらは一つの武器なだけ。
それは愛の形、愛の具体的表現だったに
過ぎないんだ。と思えてる。
両親には感謝しかないです。

武器はないよりあったほうがいい。
授けてもらった武器は役に立つときもある。



でも、なくても、
ありのままの魂があるのだよ。輝きが^^
(と今は思える^^
もちろん!読んでくださって
いるあなたも然り♪)


初めて髪をブリーチし、
インナーカラーにした時

本当は結構怖かったw 
ワクワクもあったけれど、
確かにある心理的抵抗^^:

(人にとってはどうってこと
ないことだと思うけれど
私にとっては大きな殻破りに
結果的になった♪)


義母や、夫にどういわれるかなとか、
周りにどう思われるかなとか。


そういう私を
お求めじゃないですよね?wって
勝手に思い込んでた。ほんと私が勝手に。



でも、実際してみたら
夫は、
「いいんじゃないでしょうか?」笑

義母も全然気にも留めず
受け入れてて、似合ってるじゃない。
むしろわからないくらい
だからもっとやれ的な。笑


武器がなくても、私を受け入れ、
愛してくれていたんだ。
ありのままを。


親もそう。
大手の会社を辞めるときは
反対されたから、そういう私
前提で愛してるのかと思い込んでた。
(親の期待する娘像)


でも、純粋に心配してただけ。
いつでも私の幸せを心から願って
応援してくれていると
感じることが出来た。
(理屈でなく腹落ちした。)



愛を正しく濾過して受け取る。
まっすぐ受け取る大切さ。


愛を表現している形はそれぞれ。
形ではなく、

その奥の愛をそのまま受け取ろう


自分が変われば、
周りとの関係性も変わっていくし。
自分が源。すべての。



自分への信頼感を育てていく。
今まで一生懸命生きてきた過程で
得た学びや体感を。



全て財産だよほんとーに。
自信を持つ、自分を信じる。
そのために手を動かす。 


実績を積む、成功体験を積む。
(一定の客観的基準をクリアすることで
得られるものもあるから)



「自分を信じる」の価値 
「自分への信頼感」


私は、自分だけが自分を
信じてきた時期がありました。
(傍目には、そうは
見えなかったかもしれないけれどもw)



親すらも
「この子の人生もう終わった」と
思うくらいには、強制終了が
かかったことも過去ありました。
(20代の頃、仕事の
ストレスでメンタルが^^:)


その後は、世間に合わせつつ、
会社員という隠れ蓑の中、
でもどんな時も、自分だけは
自分を信じてきた。


責任をもって自分を幸せにすることを
諦めたくなかった。


そして、不思議とその自信はあった。
根拠なかったけど。
理屈ではなく、感覚的に。
(今思えば、これ不思議♪)



その糧になった物は、
過去の充実?体験なのかも。
私の場合は、大学時代の
すべての経験かな。
(ドイツ遊学♪や海外一人旅や
恋愛、人との出会いなどなど)



自信を持つ(自分を信じる)ためには
手を動かす 実績を積む 成功体験を積む



(一定の客観的基準をクリアすること、
自身の体感や学びを得るために)
(なぜ手を動かすことがいいのかは、
別記事参照してね♪)


経験こそ財産。
縦と横の関係もまたしかり。



未熟な人も自分より成功している人も同じ
たまたま今そうじゃないだけ。



考えながら手を動かす
煮詰まったら手を動かす
立ち止まって手を動かす
わからなくても手を動かせるところを探す



今のあなたでも出来ることがある



まずは、自分の人生において、
責任をもって幸せになること。

自分を幸せにすること(=自分への信頼感

ありのままの自分を
受け止められる自分になること。



これが自然体でフラットに
生きることなのかなという結論です。




昔大学生の頃、当時の彼(爆w)がいう
「人の役に立ちたい」なんて、

マリア様じゃあるまいし、
まずは責任をもって自分を幸せに
しなさいよって思っていました笑
(この感じ伝わるかな??)



ひとりひとりが自分に責任をもって
人生を生きるべきだと思っていたし、
自分ありの他人だと思っていた。
就活とかしてた頃だったし。


でも、ありのままの自分でいられたら、
自然と渡せるものは人に渡したくなる。
人に届けようと思える。



自意識過剰にがちがちに自分を
大切にして守らなくても、
その意識を手放せば、
代わりに、「愛の循環」が
すでに、そこにあることに気が付ける。


ずっと前からそこにあったことに^^

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